About Goro Saitama
斎村五郎先生に関して
大日本武徳会・武術教員養成所第一期生として修行し、
戦前戦後を通じて多くの機関(警視庁、国士舘、早稲田大学、皇宮警察等)
の師範を務め門下生を育成し、現代の剣道界に偉大な足跡を残されました。
戦前戦後を通じて多くの機関(警視庁、国士舘、早稲田大学、皇宮警察等)
の師範を務め門下生を育成し、現代の剣道界に偉大な足跡を残されました。
旧福岡藩士斎村霞栖の三男として福岡市養巴町(現・大名町)に生まれる。福岡県立中学修猷館に入学後、吉留桂(安倍立剣道師範、玄洋社社員)の遺愛堂道場で剣道を学ぶ。修猷館の同級生で共に剣道部であった緒方竹虎(のちの副総理)とは親友であり、卒業後も親交を保った。
1906年(明治39年)
大日本武徳会武術教員養成所に第1期生として入所し、内藤高治に師事する。卒業後、武術教員養成所が改称した武道専門学校の剣道助教授となる。
1916年(大正5年)
29歳のとき上京し、警視庁、皇宮警察、陸軍戸山学校、早稲田実業学校、早稲田高等学院、早稲田大学、日本大学等の師範、国士舘専門学校の教授を務める。
1934年(昭和9年)
皇太子殿下御誕生奉祝天覧武道大会特選試合に出場し中野宗助との試合を披露。
1940年(昭和15年)
紀元二千六百年奉祝天覧武道大会特選試合に出場し小川金之助との試合を披露。
1945年(昭和20年)
8月15日に敗戦の責任をとって自刃した陸軍大臣阿南惟幾は、自刃の前日に斎村と面会し剣道の稽古をした。戦後、GHQにより剣道が禁止される中、尚道館でも稽古が行われていた同志会で剣道復活に尽力する。
1957年(昭和32年)
全日本剣道連盟から剣道十段を授与される。また、警視庁から剣道名誉師範、国士舘大学から名誉教授の称号を授与されている。
1963年(昭和38年)
紫綬褒章を授与される。
1964年(昭和39年)
修猷館の同級生である東京オリンピック組織委員会会長であった安川第五郎の要請により、東京オリンピック・デモンストレーションにおいて持田盛二と共に日本剣道形を演武した。